山田寺趾へ行きました。
お早うございます。いつもご訪問ありがとうございます。
山田寺趾あとは飛鳥の北のほうにあります。
ずっと前に発掘調査の時に東回廊の連子窓が発見されました。
木造建築物の格子の窓が土に埋もれたまま腐らずに残ったもので一番古い木造建築物の一部です。
山田寺は石川麻呂の寺です。
冤罪で自害したあと後に謀反の疑いがはれ建設途中の山田寺が完成します。
山田寺の薬師如来三尊は興福寺の僧兵に持って行かれてしまいます。
それが興福寺東金堂の薬師三尊でした。
興福寺は平重衡の兵火で焼けてしまいました。
再建された東金堂の本尊に山田寺の薬師三尊を安置しました。
その後返還交渉は実現しないまま応永18年(1411年)の東金堂の火災で薬師如来は焼けてしまいました。
月光菩薩、日光菩薩は助け出されて残っています。
今の薬師如来はその後再建されたものです。
そして焼けてしまった薬師如来の頭部が昭和12年(1937年)に台座の中から発見されました。
それが今の興福寺の国宝館の仏頭です。
山田寺は衰微するも明治まで続きます。
しかし明治の廃仏毀釈で廃寺となってしまいました。
今の山田寺は再興された小さな観音堂があるだけです。

三輪山ガソリンスタンドの向こうに三輪大社の大鳥居と三輪山が見えます

山田寺伽藍図

東面回廊趾

金堂趾

石碑

何の神様でしょうか

山田寺遺址の看板平面図はハゲてわからなくなってます

興福寺仏頭 もと山田寺本尊の仏頭です。
飛鳥資料館のレプリカの写真です

山田寺観音堂
今日の迷画は夢二ふうです。

愛して頂戴 夢二

鴨川小唄 夢二
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