紀伊風土記の丘
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今日の画像は竹久夢二の絵2枚です。

舞妓

松原
紀伊風土記の丘の古民家
紀伊風土記の丘は、国の特別史跡「岩橋(いわせ)千塚古墳群」の保全と公開を目的として1971(昭和46)年8月に開館しました。
考古・民俗資料を中心とした和歌山県立の博物館です。
風土記の丘は標高150mの丘陵です。
約65haの広さで、430基以上の古墳があります。
ちょっと古い写真です。
写ってる家も古いです。
竪穴住居

復元された竪穴住居です。
和歌山市音浦遺跡で発掘調査された古墳時代の竪穴住居をモデルに平成8年に復元されました。
内部に設置されたかまどではご飯をたくことができます。
旧小早川梅吉氏住宅(県指定文化財)



この民家は、中津村三佐にあった茅葺の農家で、建築形式に二間取りという古い形式を残している貴重な住宅です。
この地域は日高川に沿った農村で産物としてはアユ、八朔ミカン、シイタケ、木材などがあります。
主屋は200年程前の18世紀後半に建てられましたた。

入口を入ると土間が広がります。
左側には、板の間のオモテやナンドと呼ばれる部屋が並び土間側は壁や建具が無く開放となっています。
ナンドには仏壇とイロリがあります。
旧柳川家住宅・同前蔵 (国指定重要文化財)

柳川家は、近世以来漆器の製造販売を業としています。
当代まで十一代続き、代々平兵衛を名乗り、五代目は大庄屋を勤めました。
家蔵の記録によれば、文化四年(一八〇七)四代目平兵衛の代に屋敷地を求めて普請したのが現在の建物です。
この家は、もと人工の堀川であった川端通りに面して建てられ敷地西側は入江で船付場になっていました。
主屋は、向って左側の大戸口から裏に通り庭があります。
その右手に田の字型に四室を造り、正面側が「みせ」と「みせおく」背面側が「だいどころ」と「なんど」です。そのうしろに座敷を突出させた町家として標準的な間取りをもっています。
この建物は全体に保存がよく、また材料はよく吟味され意匠もすぐれています。
和歌山県では、この家を譲り受け、昭和四十四年この地に移築されました。
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