源氏物語の光源氏は源融(みなもとのとおる)?
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清涼寺の続きです。

清涼寺阿弥陀堂

清涼寺阿弥陀堂

阿弥陀堂から見る釈迦堂

京都市の立てた由緒書き

清涼寺阿弥陀堂

今の阿弥陀様はとても小さいです。
清涼寺阿弥陀堂は源氏物語ゆかりの地です。
棲霞観(せいかかん)跡が清涼寺阿弥陀堂になっています。
嵯峨天皇の皇子の源融(みなもとのとおる・八二二~八九五)が、九世紀後半に嵯峨に営んだ山荘が棲霞観です。
融は晩年に写経や造仏に着手しましたが完成を見ず他界しました。
後に子息が完成させて棲霞寺と改められました。
幾度か火災にあっています。1863年に再建されたのが今の阿弥陀堂です。
天慶8年(945)醍醐天皇・皇子の重明(しげあきら)親王が亡き妃のために新堂を建て釈迦如来を安置し、これが釈迦堂の名前の由来となりました。
かっての棲霞寺の本尊、阿弥陀三尊像(国宝)は現在、清涼寺の霊宝館に安置されています。
この阿弥陀像は、融が、自分に似せて造らせたと言われ「源氏写し顔」の美しい阿弥陀さまです。
『源氏物語』「松風」に、光源氏が造営した「嵯峨の御堂」が棲霞観の場所と一致します。
河原院が六条院のモデルということと共に、源融が光源氏のモデルとされる所以です。
百人一首には、河原左大臣 かはらの さだいじん 源融
みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに
霊宝館には他にも国宝や重文の仏像が沢山収蔵されています。
清涼寺の生身の釈迦如来は国宝で日本の三如来の一つに数えられます。
三国伝来の生身のお釈迦様をうつしたとされる仏像です。
五台山清涼寺は1000年来、嵯峨釈迦堂の名で親しまれています。
霊宝館の一般公開の時には再訪したいと思います。
清涼寺霊宝館の仏像

阿弥陀如来坐像

舎利弗
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