法輪寺講堂の仏像の続きです。
お早うございます。いつもご訪問ありがとうございます。

西門は極楽浄土の入口と繋がっています。出入りしないようになっています。
極楽へ行ってしまったら大変ですから。でもこの西門を出たら隣の家に繋がっているように見えます。
十一面観音立像

前に描いていますがまた描きました。
境内の會津八一の歌碑。

講堂の東側に會津八一の歌碑があります。
「くわんのんの しろきひたひに やうらくの かけうこかして かせわたるみゆ」
観音様の宝冠にぶら下がってる玉が揺れて観音様の白い額の影が動いたのを見て風が見えたというんですね。
今の講堂では風に揺れる瓔珞を見ることはありません。
戸が空いていることは、ないので風が堂内を吹き抜けることがないからです。
金堂に安置されていたときの歌です。
観音様を拝んでいると風が堂内を吹き抜けました。
それを観音様の髪飾りが揺れたと表現しているのですね。
本当に瓔珞が揺れるような風ではないと思います。
爽やかな風が吹き抜けたのをこうゆうふうに表現したのです。
瓔珞がブラブラ揺れるようでは平安時代の仏様の額が長いあいだに傷だらけになるのではないかと思います。
瓔珞とは、仏さまの胸飾、首飾りのことですが、ここでは宝冠から垂れ下っている玉をそういっています。
會津八一は、1881(明治14)-1956(昭和31)年、新潟生まれ、歌人・書家です。
十一面観音様の光背の後ろの暴悪大笑面のところが丸くくり抜かれていて後ろから暴悪大笑面が見られます。

米俵乗毘沙門天立像
平安時代 木造 彩色 像高157.0センチ
もともとは樟の一木造りの像であったようですが、
後世の補修が著しく、当初部分は頭部から腹部までで、他の部分は後の時代に檜や杉の材で補ったものです。
米俵に乗る毘沙門天はここで初めて見ました。食糧を守るのも毘沙門天の役目でしょうか。
室町時代の『法輪寺縁起』講堂の条に、「米俵乗毘沙門」と記されているそうです。
毘沙門天(びしゃもんてん)は、四天王のうち、北方を守護する多聞天のことで、独尊としてまつるとき毘沙門天といいます。
その妃は吉祥天で対で安置されます。
室町末期に成立した七福神の信仰に取り入れられ、護法の神が、施福の神として米俵に乗っておられるのでしょうか。
今日の絵万葉美人小島功 万葉の春風 と 華観音朝顔

万葉美人

華観音朝顔
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