大日如来 兜跋毘沙門天 石切神社
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今日の画像 大日如来 兜跋毘沙門天


大日如来フィルター
 大日如来は密教の仏様です。この宇宙の中心であり全てのものは大日如来様から生じました。その姿は菩薩の形に表された坐像として造仏されます。

兜跋毘沙門天フィルター
兜跋毘沙門天は四天王の一つ多聞天を単独で祀るとき毘沙門天といいます。そのうち地天女に支えられ二鬼を従える姿に表される毘沙門天を兜跋毘沙門天といいます。兜跋とはトルファンのことです。

 石切さん 
石切さんは石切神社です。でんぼの神様です。
でんぼと言ってもおじゃる丸に出てくる電ボじゃないですよ。
おじゃる丸の電ボ三十郎は電書ボタル一族の30番目に生まれた電書ボタルです。
おじゃる丸のお世話をしています。
月光町とヘイアンチョウを行き来して父上、母上からの伝言をつたえるメッセンジャーもしています。
余談はさて置き、石切神社はできものの神様です。
「石切さん」「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれています。
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本殿前の百度石の間を行き来するお百度参りの人がたくさんいます。
創建は、皇紀2年に生駒山中の宮山に可美真手命が饒速日尊を奉祀されたのを神社の起源とします。
崇神天皇の御世に現本社に可美真手命が奉祀されたと伝わります。
その後いろいろあって現在に至ります。
平均寿命が延びて相対的にガンになる人が増えて参拝客も増えているのではないかと思われます。

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絵馬殿


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 神牛

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 参道商店街はちょっと寂しくなっています。
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今は車で来る参拝客が多いし地下鉄駅が近くにできたからです。



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[2013/02/28 07:47] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top
 増長天 不動明王 百済寺


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今日の画像

増長天フィルター
 増長天 

不動明王東寺
不動明王 
百済寺
百済寺は広陵町百済にあります。
元は百済大寺と考えられていましたがその時代のものが見つかっていません。
なぜ百済寺とよばれるのかなぞですね。
三重塔があるので見に行ったのですが、塔と小さな本堂があるだけです。
神社の隅に建ってるようなかんじです。
無住の寺院で管理はこの神社がしているようです。
立札には当麻寺の管理とあります。
百済大寺とは、もとは聖徳太子が開いた熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)という寺です。
後に移転して高市大寺、大官大寺に。
そして、平城京に移転した際に「大安寺」となったお寺です。
百済寺はもと百済大寺ではないとすればどのような寺だったのか古代の歴史は不明です。
室町~江戸時代には、談山神社の妙楽寺の末寺となっていて、七堂伽藍を配した大寺でした。
三重塔は鎌倉時代の建立で重要文化財です。
本堂は談山神社から移築されました。

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広陵町観光案内図

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 百済寺

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 山部赤人の歌碑

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 神社に三重塔があるみたいに見えます。

 百済寺公園 
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昔の百済寺の境内かもしれません。
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本堂



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[2013/02/27 07:37] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top
 不動明王 広目天 植村牧場 
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今日の画像

 不動明王フィルター
不動明王

広目天興福寺東金堂2
 広目天

 植村牧場  般若寺の前に牧場があったんですね。
植村牧場という名前は知ってたんですがこんな町の中にあるとは思ってなかったです。
カフェレストランと資料展示室と乳製品販売店があります。
レストランは休憩中でした。
でも中は満員、貸切になっているのかもしれません。
乳製品売店も本日終了でした。
午前中に行けば開いてるかもしれません。
店の奥に牛舎があります。
ほとんどの牛が牛舎でくつろいでいます。
午睡の時間でしょうか。
外の運動場に出ている牛は2~3頭です。
羊がミステリーサークルを作っています。
繋がれている紐が長いので歩き回るところに草が生えないからミステリーサークルみたいになっています。
牛舎のなかへはいってみたいけど口蹄疫予防のため立ち入り禁止になってました。残念です。
牛は可愛い顔してますねえ。目が大きくて綺麗です。
日本で酪農が始まったのは飛鳥時代にさかのぼります
。牛乳で作った「蘇」というチーズのような食べ物がありました。
また牛を食べていたようです。
仏教が普及すると4つ足の動物は食べなくなりました。
牛乳を利用する文化もなくなりました。
それから明治維新までは牛は農耕用役牛として飼われました。
牛乳や牛肉を食べるようになるのは明治になってからです。
植村牧場は明治16年創業で歴史があります。
戦前は牛乳はどこにでも売っているわけではなくてミルクホールがあったそうです。
今の喫茶店のような店です。
そこで牛乳とパンを食べたそうです。
牛乳もパンもハイカラな食べ物でセットで10銭。
今のコーヒーとケーキよりずっと高価なものだったようです。
戦後食料難の時代に食糧増産のため政府が酪農を奨励しました。
それで酪農家が急に増えました。
牛はわらや草など人の食べられないものをを牛乳に変えてくれる神聖な動物です。
牛を神聖なものとする文化は世界中にあります。

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植村牧場

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羊さん

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牛さん

植村牧場から般若寺
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 楼門は普段は閉まっています。
 


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[2013/02/26 08:06] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
 持国天 広目天 般若寺の続き
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持国天フィルター
持国天

広目天フィルター
 広目天

般若寺の続き
般若寺は石仏や石塔がたくさんあります。
これはかってこの寺が大きかったことを表しているのだと思います。
明治維新の廃仏毀釈で小さくなってしまった寺にまわりの石造物を集めたからでしょう。
五輪塔や石仏、地蔵さん、歌碑、道祖神など境内にひしめき合っています。
句碑歌碑がたくさんあります。句碑は新しいものです。
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正岡子規や秋桜子が歌を詠んでいます。
本堂へ入ると本尊の文殊菩薩様が安置されています。
文殊菩薩様を乗せている獅子が立派な獅子で迫力があります。
ほんのののライオンより怖そうですよ。
どこかでこのようにりっぱな獅子に乗った文殊菩薩様みたことがあります。
西大寺です。そういえば右に安置されている叡尊―興正菩薩も西大寺で見ました。
獅子も今にも吠えそうな迫力です。
御朱印をもらって外に出たらかすかに動物の鳴き声が聞こえてきます。
獅子が吠えているのでしょうか。
いいえ違います。本堂の反対のほうからかすかに聞こえています。
なんの声でしょうか。
境内の南の方へ行ったら西の楼門の方から聞こえてきます。
楼門の方へ歩いてゆけば小さな五輪の塔が見えます。
境内をぐるっと回って見つからなかった平重衡の供養塔じゃないかとお思いました。
楼門は西門です。寺の西門は極楽浄土につながっているといいます。
さすれば極楽鳥の歌う声?
それとも天竺の方から聞こえる祇園精舎の鐘の声かもしれません。
それとも平重衡の声かもしれません。
楼門のところまで来たら五輪の塔は重衡の供養塔でした。
安福寺の供養塔に比べたらささやかなものです。
西の方から聞こえる声はすぐ近くのようです。
祇園精舎の鐘の声ではありません。
動物の鳴き声です。
奈良といえば鹿ですが鹿はこんな声で鳴くのでしょうか。
鹿の声にしてはおかしいです。
風邪でもひいているのでしょうか。
門を出てみると丸々と太った白鹿です。
メタボの白鹿です。よく見ると羊です。
羊が鳴いていたのです。執事が泣いているのと違いますよ。
モーと鳴く声も聞こえてきます。牛がいっぱい。
なんと寺の西が牧場じゃありませんか。びっくりしました。

鐘楼 鐘楼に比べて釣鐘は小さいです。
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般若寺の釣鐘細き秋の風、正岡子規

 楼門は西門
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西の方からなんか聞こえます。

楼門のそばに供養塔
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説明文



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[2013/02/25 08:06] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top
増長天 多聞天 般若寺
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今日の画像

増長天フィルター
 増長天

多聞天フィルター
 多聞天

般若寺の巻2

県庁の横の道を北上すれば転害門です。
平重衡の兵火(1180年)でも焼けなかった数少ない建物です。
大仏殿からずいぶん離れているので延焼しなかったのかな。
兵が隠れる場所もないので焼かれることもなかったのでしょう。
転害門からさらに北上し奈良坂上がれば般若寺です。
振り向けば大仏殿が小さく見えます。
 楼門はいつも閉まっています。
裏に駐車場があってそこから中へ入ります。
ちょっと寒い日だったので車は1台止まっていただけです。
中へ入ると石の観音様がずらりと並んでいます。
足元には水仙がいっぱいです。
西国三十三所の観音様です。1日で三十三所観音巡礼できます
。それから十三重石塔が立派な基壇の上にそびえ立っています
。日本一の大きさじゃないかと思いました
。調べたら宇治にもっと高い塔があるそうです。

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般若寺パンフレット

釈迦如来
石仏  釈迦如来

西国三十三観音
  西国三十三所の観音様
西国三十三観音2
 1日で三十三所観音巡礼できます。


傘塔婆
般若寺笠塔婆
(重要文化財、鎌倉時代中期 弘長元年 1261年銘、花崗岩、北塔 総高 476Cm 南塔 総高 446Cm)もとは、般若寺の南方、南都の惣墓入口にあったもの。
その後 明治25年に般若寺境内に移されました。
明治の廃仏毀釈の時に寺域は小さくなってしまい荒れ果てていたそうです。



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[2013/02/24 07:54] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
文殊菩薩 阿弥陀如来 般若寺
お早うございます。ご訪問ありがとうございます。

今日の画像は般若寺の仏像です。

文殊菩薩
文殊菩薩般若寺鎌倉時代
 般若寺鎌倉時代

 阿弥陀如来
阿弥陀如来般若寺白鳳時代
 般若寺白鳳時代
文殊菩薩 鎌倉時代 本尊文殊菩薩様は智慧の神様です。
維摩経では維摩との問答で空とは何かを明らかにされました。

般若寺へ行きました
。平重衡ゆかりの寺です。
平重衡の供養塔があるらしいのですが果たしてどうなるか。
これまで平重衡、平氏ゆかりの寺を書いてきました。
安福寺、泉橋寺、須磨寺、能福寺です。そして今日は般若寺です。
南都焼き討ちから奈良坂にある般若寺門前に梟首されるまでわずか4年です。
無茶をすれば報いがあります。
国家鎮護のために建てられた大仏様を焼かなければならないようなことになったのは悲劇です。
東大寺や興福寺の勢力と戦うことはその時は勝っても、いずれたくさんの人に恨まれることになります。
般若寺は花の寺です。
春はヤマブキ(4月)夏はアジサイ(6月~7月)そして秋は コスモス(6月~11月)です。
境内がコスモス畑になっています。
今は天地返しのときです。境内が畑みたいになっています。

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 般若寺御朱印
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  般若寺への道
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 巨大な十三重の石塔



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[2013/02/23 08:03] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
馬頭観音菩薩 不動明王 庭の花
お早うございます。ご訪問ありがとうございます、

今日の画像は怖い顔の仏様と 庭の花です。

馬頭観音菩薩
馬頭観音浄瑠璃寺
 馬頭観音菩薩浄瑠璃寺



不動明王
不動明王

馬頭観音菩薩、浄瑠璃寺の馬頭観音さんは出張されています。
この怒りの表情はたまには里帰りがしたいという不満の怒りでしょうか。
いえいえそれは違います。優しい観音様では心のモヤモヤが晴れない罪深き人たちを救うためです。
馬頭観音様の怒りの炎で我々の心のモヤモヤを焼き尽くしてもらうのです。
馬頭観音様の炎は本当は慈悲の炎です。
また馬頭観音様は馬の守り神として民間信仰されています。
この絵は浄瑠璃寺のパンフレットを見て書きました。
不動明王様を怖い表情に書いていたら、歌舞伎の隈取みたいになってしまいました。
歌舞伎はよくわからないんですけど歌舞伎の隈取って怒りの表情のような気がします。

般若寺へ行ってきました。
ここに平重衡の供養塔があるそうです。
供養塔が見つかりません。
それよりどこからか変な鳴き声が聞こえてきます。
さてなんでしょうか。明日書きます。

今日は庭の花を紹介します。

万年青宝船
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 宝船は実の付き易い万年青の品種です。

侘助椿
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 赤い侘助です。品種名がわかりません。

日本水仙
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 今年は咲くのが遅くて今が見ごろです。

金魚椿
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 金魚椿は花じゃなくて葉が金魚みたいです。葉の先が金魚のヒレみたいです。


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[2013/02/22 07:57] | 植物 花 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top
金剛力士阿形法隆寺 金剛力士吽形法隆寺 庭のクリスマスローズ赤
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今日の画像 金剛力士

金剛力士阿形法隆寺
金剛力士阿形法隆寺

金剛力士吽形法隆寺
金剛力士吽形法隆寺

昔は法隆寺南大門の右の方に無料駐車場がありました。
無料かどうかわかりませんが。何も書いていないのでわかりません。
駐車場かどうかもわかりません。ただの空き地かもい知れません。
そこへ車を置いて観に行ったことがあります。
25号線通ることがあってこのあたりをウロウロ散策したことがあります。
中門のところまでは自由にいけます。
西門から東門のあたりは散策自由です。
毎日散歩したらたらいいだろうなと思います。
家からここまで歩いてくるのが大変ですけど。
おうちから遠いので歩いてきたら丸一日かかります。

 
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 南大門 去年の夏の写真です。

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  金剛力士阿形中門

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  金剛力士吽形中門

庭のクリスマスローズ赤
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[2013/02/21 07:27] | 植物 花 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
月光菩薩  広目天   井手町の続き「左馬」
お早うございます。ご訪問ありがとうございます。

今日の画像

月光菩薩興福寺東金堂
  月光菩薩

広目天興福寺東金堂
  広目天   

井手町の続き「左馬」
井手町の続きです。
小野小町塚は府道321号線から少し脇に入ったところにありました。
府道321号を和束の方へもう少し行けば急に道が狭くなります。
そんなところに左馬(ひだりうま)ふれあい公園があります。
狭い道ですが無料駐車場があっていいとこです。
「左馬」とは馬を左右反転してかいたものです。
これをまうと読みます。
「まう」は「舞う」に通じます。
古来「舞」は、目出たい席で催されることから縁起がよいとされています。
左馬は舞の上達を願って古くから信仰の対象になりました。
さらに女性の習い事の裁縫や茶法、生け花、ひいては踊りなどの上達を志す女性の守り神として、信仰されるようになります。
将棋駒の置物で、「馬」の字が左右逆に書いた縁起物があります。
また三味線の胴に馬の字を左書きにして縁起を担ぐ習慣があります。
馬の絵も逆向きのものが喜ばれます。
ここの左馬は巨大な石にはねる馬を浮き彫りにしたものです。
公園は狭くて駐車場からすぐでした。
でもどこに馬のレリーフがあるのかわかりません。
狭い岩の祠のようなところです。
正面に左馬らしきものはありません。
左を見ても右を見てもありません。
どうしたことでしょう。
ふと上を見ると天井に馬の浮き彫りです。
馬の浮き彫りはそんなに大きいものではありませんでした。
どうしてこんな彫りにくい処に掘ったのだろうと不思議に思ってると分かりました。
元は左岸の中腹にあったものが水害でここに転がり落ちたらしいのです。
馬が見えるように落ちたのは不幸中の幸いといったところでしょうか。

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左馬ふれあい公園の駐車場にある看板

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 左馬の前にある説明版

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 左馬

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 まじないの札


庭の花クリスマスローズ
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[2013/02/20 07:47] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
十一面観音 不動明王 小野小町塚
お早うございます。ご訪問ありがとうございます。

今日の画像
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 十一面観音
青不動明王(1)
 不動明王

きょうは井手町 小野小町塚です。

 小野小町は晩年井堤寺に住みました。
井堤寺には橘諸兄が山吹をたくさん植えました。
小野小町の住んだ頃も山吹がたくさんあったようです。
小町は山吹の咲く玉川堤を散策したと伝えられています。
小町の歌に、「色も香も なつかしきかな 蛙鳴く 井手のわたりの 山吹の花」があります。
このあたりは山吹の名所で、蛙もたくさんいたのでしょう。
「冷泉家記」に「小町69歳井手寺において死す」とあります。
「百人一首抄」に「小野小町のおはりける所は山城の井手の里なりとなん」とあります。
小野小町の墓は全国にありますが、晩年は井堤寺(いでじ)に住み、ここで最後を迎えたものと思います。

小野小町は小野篁の息子の小野良真の娘とされています。小野篁の孫ですね。
小野小町の生没年はだいたい天長2年(825年) - 昌泰3年(900年)の頃と推定されています。

小野小町の墓
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四角い石が4個積み上げられた素朴なものです。
この石は井提寺の礎石とつたえられます。

下馬と書いてあります。
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馬で来た人はここで馬を降りねばなりません。
馬で来なくてよかったわ。


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小町塚の銘文




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[2013/02/19 07:02] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
木造十一面観音立像 海住山寺
おはようございます。
アクセスありがとうございます。

海住山寺の続きです。

木造十一面観音立像
十一面観音海住山寺フィルター
- 本堂安置、平安時代、像高189cm、一木造。


木造十一面観音立像
十一面観音海住山寺奥の院フィルター
- 奥の院、平安時代、像高45.5cm、一木造。

聖武天皇が平城京の鬼門にあたるこの海住山寺の地に寺を建てれば、大仏の造立が無事成就するであろうとの夢告を受け、良弁に命じて寺を建立させました。
良弁が感得した十一面観音像を本尊として開創したのが、海住山寺の前身の観音寺です。
その10年後に東大寺に大仏建立の勅が発せられます。
この観音寺はその後全山焼失しました。
その後、補陀洛山 海住山寺として再建されました。



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本堂


薬師堂
薬師堂 開山堂


三社
色鮮やかなお社は、三社です。


修行大師
修行大師像



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[2013/02/18 08:21] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
聖観音  菩薩   橘諸兄公旧跡 
お早うございます。ご訪問ありがとうございます。

今日の画像

  聖観音
薬師寺聖観音色彩変換3
  菩薩
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   橘諸兄公旧跡 
聖武天皇ゆかりの場所を恭仁京から長久寺そして海住山寺へいきました。
そして今日は井手町にある橘諸兄ゆかりの場所です。
井堤寺(いでじ)跡と橘諸兄公旧跡へいきました。
国道24号から和束の方へ府道321号線をしばらく行くとすぐ見つかりました。
道の端にありました。
地図で調べてもよく分からなかったのですが見つかってよかったです。
井堤寺は「橘諸兄」が母・三千代の一周忌に創建した寺院です。
七堂伽藍の大きな寺院でした。
発掘調査の結果この地から礎石、銅銭、鏡、三彩瓦片などが出土しました。
橘諸兄公旧跡はここから少し南にあるのですが道がないので少し戻ってから行きます。
標識があるのですが歩く人のためのものですから車で行けない場所もあったりします。
誰も行かないような山の中にありました。
   橘諸兄 
橘諸兄(たちばな の もろえ)は敏達天皇の孫の孫。
生没年 天武天皇13年(684年)から天平勝宝9年1月6日(757年1月30日))
奈良時代の政治家・元皇族。元の名前を葛城王(葛木王・かつらぎのおおきみ)。
正一位・左大臣。井手左大臣または西院大臣と号しました。
 



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井堤寺(いでじ)跡 
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井堤寺と平安時代の図橘諸兄一族の館などがあります。


橘諸兄公旧跡
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 この近くに橘諸兄公の館がありました。
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 橘諸兄公由緒碑 
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橘諸兄公供養塔



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[2013/02/17 07:55] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
港屋絵草紙店
こんにちは、アクセスありがとうございます。

夢二の絵です。


港屋絵草紙店大正3年
港屋絵草紙店
大正3年版画(みなとや版)
大正時代は日本文化と西洋文化が交じり合い、新しい文化が生まれた時代。
絵の右にいるのが夢二です。
真ん中に元の妻の岸たまき、左が新しい恋人となった笠井彦乃です。



小春大正3年
小春
大正3年版画(みなとや版)
浮世絵風の版画です。
歌舞伎の心中天網島、小春と治兵衛の物語の小春です。




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[2013/02/16 08:21] | 美人画 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
海住山寺 木造十一面観音立像
おはようございます。アクセスありがとうございます。

海住山寺へ行きました。

今日の画像
木造十一面観音立像  平安時代 奈良国立博物館に寄託
海住山寺十一面観音



  阿弥陀如来 平安時代
阿弥陀如来

海住山寺
聖武天皇ゆかりの寺院です。
先月行った恭仁京跡に近い山の上にあります。
地図で見ると、恭仁京の東の道をまっすぐ北上すると山の中腹に海住山寺があるはずでした。
ところが道がだんだん狭くなって集落のところで一段と狭くなっています。
狭い道で通れそうにありません。
そこまで行くと右へ矢印が。
方角が違うし、村の中の離合困難な細い道を進むと前から車が、こうゆう道大嫌いです。
運転下手くそですから。
距離的には近いんですけどなんか長時間かかったような気がします。
本堂前に拝観受付って書いてあるんだけど誰もいません。
先に境内を見て回って本堂に戻ってきましたが誰もいません。
若い坊さんか学生のような人がたくさんいましたが寺の人はいません。
もう一度本堂の前に行ってよく見るとインターホンがありました。
気づくまで1時間ほど時間を無駄にしました。ほんとドジですねえ。

海住山寺御朱印
海住山寺御朱印

海住山寺パンフレット
 海住山寺パンフレット


海住山寺
 海住山寺石柱


文殊堂
 文殊堂 重文


海住山寺五重塔2
 五重塔国宝
 日本で二番目に小さい五重塔です。
でもそんなに小さく見えません。
一番小さいのは室生寺の五重塔です。



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[2013/02/15 07:29] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
不動明王 十一面観音 須磨寺
お早うございます。
ご訪問ありがとうございます。

今日の画像は不動明王と十一面観音です


不動明王
不動明王
十一面観音長谷寺
十一面観音

「須磨寺」
須磨寺は敦盛ゆかりの寺院です。須磨寺は真言宗須磨寺派の本山です。
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御朱印

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平敦盛首塚

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源平の庭の蕪村の句碑

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須磨寺本坊
正式名は上野山福祥寺ですが、古くから「須磨寺」の通称で親しまれています。
平敦盛遺愛の青葉の笛や弁慶の鐘があります。
さらに敦盛首塚や義経腰掛の松など、多数の文化財があり「源平ゆかりの寺」としてよく知られています。
古来より源平の浪漫を偲んで文人墨客がたくさん来ます。
境内にはその句碑・歌碑がたくさんあります。

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[2013/02/14 08:34] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
兵庫大仏 能福寺
お早うございます。ご訪問ありがとうございます。
兵庫大仏
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兵庫大仏
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大河ドラマで清盛ゆかりの地として能福寺 が紹介されていました。
能福寺は新西国第二十三番札所です。
ずっと前に行きました。ここには大仏様があります。それが戦争のために壊されました。
今の大仏様は戦後再建されたものです。

宝積山 能福寺
遣唐留学僧として唐に留学していた最澄が帰途、兵庫和田岬に上陸しました。
歓待した庶民によって建てられた堂宇に大師自ら刻んだ薬師如来像を安置し、能福護国密寺と称したのが始まりです。
伝教大師による我が国最初の教化霊場です。
 治承4年(1180年)に平清盛が福原遷都のとき、平家一門により七堂伽藍が完成しました。
室町時代に兵火により全焼しました。
その後、慶長4年(1599年)に長盛法印によって再建されました。
兵庫大仏は日本三大仏でした。
初代の「兵庫大仏」は明治24年(1891年)に豪商南条莊兵衛によって建立されたといわれており、奈良、鎌倉と共に日本三大仏に数えられました。
日本三大大佛は、奈良の大仏(東大寺・蘆舎那仏) 、鎌倉の大仏(長谷高徳院・阿弥陀如来)、兵庫大仏(胎蔵界大日如来像・毘慮舎那仏)です。
 初代の大仏は大戦中の昭和19年に金属回収令供出のため解体されました。
また、翌年3月には神戸大空襲により伽藍は全焼してしまいます。
戦後大仏がたくさん作られて日本三大仏ははっきりしません。
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将軍平清盛公墓処

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兵庫大仏(胎蔵界大日如来像・毘慮舎那仏)
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能福寺御朱印

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[2013/02/13 08:31] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
須菩提
お早うございます。ご訪問ありがとうございます。


須菩提 
須菩提興福寺国宝館(1)
須菩提 興福寺国宝館
須菩提は、釈尊十大弟子のなかの一人です。
須菩提は釈尊に解空第一、と称されていました。
空を説く大乗経典に登場します。
解空第一というのは、空を一番よく理解しているということです。
西遊記では須菩提は孫悟空の師匠だそうです。


五部浄
五部浄興福寺国宝館(51)(1)
 五部浄 興福寺国宝館 
八部衆像のうちの五部浄像です。
色界最上位の色究竟天に浄居天と呼ばれる5人の聖者が住んでいます。
五部浄居天はこれら5人を合わせて一尊としたものです。
五部浄は陀羅尼を唱える者をまもります。
象の冠をかぶり、少年のような表情です。
頭部と上半身以外は破損しています。


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[2013/02/12 08:27] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top
日光菩薩
お早うございます。アクセスありがとうございます。

日曜美術館 洋画家 絹谷幸二 祈りのカンバス ~無著・世親菩薩への挑戦~みました.
洋画家 絹谷幸二さん興福寺北円堂 の無著・世親菩薩への挑戦見ました。
絵の具をベタベタ塗っていきますね。
作品検索したら富士山とかカラフルな作品がいっぱいです。


日光菩薩
日光菩薩興福寺東金堂(1)(1)
興福寺東金堂
昨日は絵の具ベタベタ塗ってみました。
時間がかかって昨日はこれ1枚描いただけです。
この日光菩薩は頭に化仏をつけていて観音様のようです。
元山田寺にあった仏像です。


阿弥陀如来
阿弥陀如来
この絵はずっと前に書いたものです。



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[2013/02/11 08:22] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
観世音菩薩
こんにちは、いつもありがとうございます。

観音さま 

今日は観音様の絵を3枚。
梵名のアヴァローキテーシュヴァラは遍く自在に観る者の意味です。
観音様は遍く衆生を救うために、衆生の能力に応じて、色々の観音さまに変身します。
これを観音の普門示現といいます。
観音経には、観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて、33の姿に変身すると説かれています
。近畿周辺の観音霊場を巡る西国三十三所巡礼の33という数字は観音様の33変化身に由来します。
西国三十三所巡礼は奈良時代に長谷寺の徳道上人が創始し、平安時代中頃に花山法皇が中興したと伝えられます。般若心経においては観音様は最初に出てきます。
そしてこの世を色即是空とさとるのです。
また観音様は阿弥陀仏の脇侍として勢至菩薩と共に三尊として祀られます。

子安観音7
子安観音 
安産や幼児の成長を守護するという観音様です。
女性の姿に表される観音様です。

魚籃観音
魚籃観音 
魚籃観音は中国で生まれた観音様です。
 昔、中国に魚を扱う美女がいたそうです。
 お経をよく暗記したものと結婚すると言いました。
それでみんなお経を読誦したそうです。
魚を扱う美女は法華経を広めるために現れた観音様の化身だったそうです。

観音様
聖観音 
観音様だけを安置するとき聖観音といいます。 
基本となる観音様です。 
いろいろな観音様に変化する前のすがたです。
阿弥陀三尊の観音様は単に観音菩薩といいます。



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[2013/02/10 08:19] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
憩い

お早うございます。アクセスありがとうございます。

夢二の絵です。

憩い昭和初期
憩い 昭和初期 二曲一双屏風
ショートヘアの赤いワンピースの女性が座っているのは夢二の設計によるアトリエ付住居のテラス。
大きな十字架模様のテーブルクロスや果物籠から、 夢二の暮らしへのこだわりやセンスがうかがえます。
向かいの空いた椅子と、うつろな表情の女性は何を物語るのでしょうか。
葡萄棚の閉じた空間は、女性の孤独感を感じさせます。
この作品は、もう一つの男性が柳の下に横たわる左隻と二曲一双の屏風絵です。



旅昭和6年
旅  昭和6年 二曲一双屏風
これも二曲一双の屏風絵です。
お葉をモデルに、夢二がその生涯で最も愛した女性、彦乃を書いているのだと思います。




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[2013/02/09 08:08] | 美人画 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top
長久寺へ行きました。
おはようございます。アクセスありがとうございます。

長久寺へ行きました。
聖武天皇が行基に開かせた寺院です。
昔は塔頭が20院あったそうです。
現在四つの塔頭寺院があります。
薬師院、円生院、法華院、宝光院です。
本堂がしまっていました。
法華院で聞いたら本日住職不在でした。
重文の十一面観音様の拝観はできませんでした。
拝観予約した方がいいらしいです。

長久寺御朱印
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大和十三仏ご朱印巡りパンフレット
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山門 
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中から見た写真です。
この門の向こうに伊弉諾神社の大きな石の鳥居があります。

伊弉諾神社
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 本堂と薬師院の間にあります。

長久寺本堂
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 国宝 棟木銘から弘安2年(1279年)に建立されたとわかります。
入母屋造の屋根は檜皮葺です。
。内部は柱間3間にわたる長大な梁を架け、礼拝空間である外陣を広く取っています。

今日の画像は3枚です。

十一面観音
十一面観音 海龍王寺
十一面観音

阿弥陀如来
阿弥陀如来
阿弥陀如来

不動明王
hudou
不動明王




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[2013/02/08 08:36] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
不動明王 宝山寺
お早うございます。アクセスありがとうございます。

今日の画像は宝山寺の仏像 ご本尊は不動明王です。

不動明王 宝山寺
不動明王宝山寺(1)
 不動明王アチャラ・ナータは密教の根本尊である大日如来の化身です。
「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)とも呼ばれます。
日本で信仰篤く、たくさん造像されています。 

烏枢沙摩明王
ウスサ摩明王 (2)(1)
 烏枢沙摩明王 宝山寺


宝山寺の仏像 昨年の写真です。
外に安置されている仏様です。
水掛不動尊
不動明王
永代供養料壹億円にびっくりしました。

十一面観音立像
十一面観音(1)


聖観音
聖観音
 薬師寺の東院堂の聖観音様の写だと思われます。

烏枢沙摩明王
ウスサマ明王(1)
 烏枢沙摩明王はサンスクリットで「ウッチュシュマ」といいます。
、、「この世の一切の汚れを焼き尽くす」事からトイレの神様と言われます。
真言オン クロダノウ ウンジャク




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[2013/02/07 08:28] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
国宝の十一面観音 向源寺
お早うございます。アクセスありがとうございます。

国宝の十一面観音 向源寺
向源寺十一面観音(1)
国宝の十一面観音 向源寺の渡岸寺観音堂、
織田信長が小谷城の浅井長政を攻めたときは土中に埋めて難を逃れたそうです。

暴悪大笑面
十一面観音向源寺暴悪大笑面(1)
暴悪大笑面
国宝。向源寺から少し離れた渡岸寺観音堂にに安置されていた観音様です。
観音堂の横に収蔵庫の慈雲閣が完成してからはそちらへ安置されています。
渡岸寺は地名だとおもいます。
収蔵庫は観音様が後ろからも見えるように設計されています。
後ろへ回って暴悪大笑面も見ることができます。

向源寺
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 去年の夏の写真です。
向源寺は浄土真宗の寺院です。

渡岸寺観音堂の山門
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この奥に観音堂があります。その横に収蔵庫が建っています。

渡岸寺観音堂の山門
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駐車場の方に高月観音の里歴史民俗資料館があります。



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[2013/02/06 08:14] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
光れる水
             

お早うございます。アクセスありがとうございます。

夢二の絵です。
光れる水 明治43年
光れる海明治43年(1)
何度目かの同棲生活のなかで夏を過ごした銚子の海で、たまきの後ろ姿を描きました。
東京で大人気の絵草子屋・港屋の女主人たまきは、夢二の元夫人でした。
二人は離婚後も同居と別れを繰り返しました。
早稲田大学在学中から絵を描いて絵はがき店などに卸していました。
年上で気丈なたまきは、いつも若い女性ファンに取り囲まれている夢二との間でいさかいが絶えませんでした。
結婚後2年ほどで協議離婚しました。
その後すぐに二人で富士登山してます。。
夢二は日本橋呉服町に「港屋絵草紙店」を開店、経営ををたまきに任せました。


ギヤマン問屋の夏 大正3年  
ギヤマン問屋の夏大正3年(1)
ギヤマンと少女は儚いものを象徴しているようです。
この頃に笠井彦乃と出会います。
夢二は港屋に来店した笠井彦乃と親しくなり、その後同棲します。
夢二とたまきはそこで別れました。
しかし、彦乃は5年後に結核でなくなります。





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[2013/02/05 08:00] | 美人画 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
因達羅大将 興福寺 東金堂
お早うございます。ご訪問ありがとうございます。

因達羅大将
因達羅大将興福寺東金堂(1)
因達羅大将 興福寺 東金堂
薬師如来の守護神十二神将立像のうち因達羅大将は巳をあたまにつけています。
十二神将は干支の動物に対応しています。
薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守ります、
いずれも中国風の武将の姿です。
仏敵や人の悪い心から守ります。


鳩槃荼像 
鳩槃荼像(くばんだぞう)興福寺
鳩槃荼像(くばんだぞう)興福寺国宝館
 八部衆の「夜叉」に相当します。
梵天が造った水を守る神とも、あるいは財宝神毘沙門天の家来、また南方の守護神増長天の家来ともされます。
 像は正面を向き、炎髪にして、口を開け、歯をのぞかせています。

興福寺仮金堂特別拝観の時の写真です。
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仮金堂

仮金堂前の鹿
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ここの鹿は行儀がいいね。ここは鹿せんべい売っていないからです。
仮金堂前の鹿
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東大寺の大仏殿の前の鹿は寄ってきてお菓子くれっていうよ。
子供にお菓子もたせたら取られるよ。
鹿せんべい売ってるから、鹿だらけです。



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五重塔


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[2013/02/04 08:30] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
国宝の十一面観音立像 聖林寺
お早うございます。アクセスありがとうございます。

聖林寺の続き

国宝の木心乾漆十一面観音立像を描きました。
国宝の十一面観音立像 聖林寺  木心乾漆像
国宝の十一面観音立像 聖林寺
国宝の観音様 ボールペンでかきました。
アクリル絵の具で薄く色をつけました
。一日かかってしまいました。
乾漆像ですが乾漆の漆箔の質感が出ませんでした。

国宝の観音様
国宝の十一面観音立像 聖林寺2
 上半身は時間がないので小さい紙に書きました。
ボールペンにアクリル絵の具で影をつけました。
色を塗る時間がなかったです。
像高209.1cm。木彫りで像の概形を作り、その上に木屎漆を盛り上げて造像する木心乾漆像です。
奈良時代末期の観音様です。
廃仏毀釈で三輪明神(大神神社)の神宮寺であった大御輪寺から移された 観音様 です。

駐車場から坂を登ってゆくと聖林寺が見えてきます。
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訪れたのは11月でした。マンダラ展の時でした。ここを上がると山門です。
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聖林寺の山門。
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本尊は本堂の子安延命地蔵坐像です。
観音堂(大悲殿)この中に国宝の観音様がおられます。
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撮影禁止なので横から写しました。 
元清水寺管長の大西良慶さん筆の扁額がかかっています。





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[2013/02/03 08:03] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
 逢状
お早うございます。アクセスありがとうございます。

夢二の絵です。

 逢状
逢状
懐に手紙をしのばせ、のれんを開けて戸外へ出ようとしている黄八丈を着た若い娘の姿が、淡い色彩で描かれています。
画題の「逢状」とは座敷に出ている芸者を呼び出すため茶屋から送る手紙を指すようですが、本品は大正時代の習慣が作者独特の画風で見事に表現されており、大正ロマンを象徴する「竹久夢二」の作品らしい情緒豊かな作品に仕上げられています。

黒猫 
黒猫
黒猫 女10題のうち大正10年永見徳太郎の為に製作されたシリーズです。
黒猫は男性のイメージここでは夢二です。お葉がモデルとおもわれます。
大正10年にお葉と渋谷に所帯を持ちました。
黒猫には色々なイメージがあります。
子供の頃黒猫は魔よけになると言ってました。
黒猫を良いとするところと、不吉とする地方があります。
欧米では、黒猫は不吉と考えられていました。
魔女狩り等によって黒猫が殺されることがありました。
たとえばベルギーのある町では昔「猫の水曜日」に時計台から黒猫を投げ殺したそうです。
イタリアでは、黒猫というだけで殺害されたりしたそうです。
他の欧米諸国でも黒猫は不吉な動物とされる場合があり、黒猫をまたぐと不幸がおこるとか 十三日の金曜日に黒猫を見ると不幸がおこるという迷信があります。
逆にイギリスの一部の地域では黒猫が幸運の象徴とされます。




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[2013/02/02 08:42] | 美人画 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
神童寺続き「蔵王権現像」
おはようございます。アクセスありがとうございます。

神童寺続きです。
神童寺山門
神童寺山門 
興福寺一乗院から移築された山門。

神童寺絵葉書
神童寺絵葉書
神童寺縁起によると、 この寺は聖徳太子の創建で本尊の蔵王権現像は役行者(えんのぎょうじゃ)がこの山で修行した時二人の神童の助力を得て刻んだと伝えられています。
大和の吉野山に対して北吉野山と号し、一時は付近の山一帯に二十六坊のお堂がありました。
以仁王の挙兵に対峙した平重盛の二男 資盛の兵火により、本山及び26坊を焼失しました。

神童寺十三重の塔
  十三重石塔は、本堂の左手奥にあります。
鎌倉時代後期のもので、高さは4メートルあります。
初層には、釈迦・薬師・弥勒・阿弥陀の顕教の四如来が刻まれています。

本堂
神堂寺本堂
 現在の本堂は応永13年(1406年)に再建されました。
本堂及び仏像の多くが重要文化財です。本堂の本尊は蔵王権現像です。
本堂は蔵王堂ともいわれます。

本尊「蔵王権現像」
蔵王権現神堂寺
蔵王権現は縁起では役行者が二人の神童の助力を得て刻んだと言われますが、時期は、修験の基本が成立したと考えられる鎌倉時代初期のことと推定されます。
現在の本尊像は、現在の本堂(重文)が再建された十五世紀初めごろ頃に造像されたと思われます。
蔵王権現の中でも大きく立派な像です。

収蔵庫
神童寺収蔵庫
この中に平安期の重文級仏像がたくさんあります。
日光菩薩像(重文)収蔵庫
日光菩薩神童寺
日光菩薩像は、一木造で、等身大、右手を下に、左腕はひじで曲げて持物を持つ形です。
両腕を体に密着させて直立する姿に表し、一本の木から全身を彫り出しています。
大きく結い上げた髪とお顔はバランスがよろしい。
造立された当時は、美しい彩色が施されていたようです。
平安中期の特徴ある造像です。





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[2013/02/01 08:25] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
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