白隠禅師の 達磨図

こんにちは、アクセスありがとうございます。

白隠禅師
坐禅和讃は衆生本来仏なりです。
どんな人でも人は本来仏であるということです。
念仏や瞑想や座禅によって佛となるのです。
念仏によって来世に浄土に生まれたいと思っているうちは悟りからは遠く、念仏によって心から雑念が消えたとき念仏そのものになっています。
そのときその人は佛になっているのです。そこは浄土です。
白隠禅師 の禅画はそのことが書かれています。
たくさんの禅画がありますがみんなそのことが書かれています。
如来蔵、悉有仏性、とか言います。
人は誰でも佛になれるということです。
草木国土悉皆成仏といえばあらゆるものが佛になるということです。
草や木まで佛です。

白隠禅師の 達磨図
直指人心見性成佛
直指人心見性成仏 意味は教説や修行によることなく、座禅によってただちに自分の心の本性を見極め、悟りを開いて仏と成ることです。
禅宗では不立文字とも言います。文
字や言葉によらず以心伝心することです。

白隠禅師の 達磨図
IMG_0003_20130131080714.jpg
達磨大師の絵です。、
仏教の振興に力を尽くしていた武帝にどれほどの功徳があるかと聞かれ、達磨大師は「無功徳」とこたえました。




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[2013/01/31 08:07] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
蟹満寺の釈迦如来坐像

お早うございます。ご訪問ありがとうございます。

今日の画像は蟹満寺の釈迦如来坐像です。蟹満寺の続きです。

蟹満寺
蟹満寺
蟹満寺
蟹満寺 (2)
蟹満寺は由緒は不明です。
飛鳥時代のものは国宝の釈迦如来坐像だけでどこかの廃寺から移されたという説がありました。
橘諸兄の井堤寺、山城国分寺から移されたとする説、狛氏の高麗寺にあったとする説などがありました。
発掘調査の結果飛鳥時代後期の瓦などが出土しました。
飛鳥時代にこの地に寺があったことがわかりました。
釈迦如来坐像はその寺のものであるとされました。
その後の調査で本尊台座の下に江戸時代の層があり由来ははっきりしません。

綺原(かんばら)神社 
綺 原 神 社 (木津川市)
綺原神社は山背古道を挟んで蟹満寺の東となりにあります。

聖観音立像
聖観音蟹満寺
 境内にある観音様です

釈迦如来坐像 本堂内は撮影禁止で写真はありません。
薬師寺の金堂本尊薬師如来と比べて軽く作られており技術が進んだ仏師 によって造像されました。
頭の螺髪や白毫がないのは軽くするためです。
白毫や螺髪は後で貼り付けたと考えられます。
白毫や螺髪は全然残っていません。

釈迦如来坐像 
釈迦如来蟹満寺
色は黒く見えますがよく見ているといろいろな色が見えてきます。
黒く見えていますがよく見ていると緑のような青のような光が見えます。
証明の影響もあると思います。
色を塗るうちにだんだん違ういろになってきます。
赤や黄色も塗ってみました。
でも光っている感じは表現できなくてこれで完成です。




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[2013/01/30 08:38] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
山城大仏 泉橋寺の続き
こんにちは、アクセスありがとうございます。

泉橋寺の続き
泉橋寺 (1)
山城大仏
山城大仏 (2)
山城大仏は高さ約4.85mの日本有数の石の地蔵さんです。
鎌倉時代に般若寺の真円上人によって泉橋寺が再建され地蔵石仏を造立しました。
当初は地蔵堂に納まり、台座や光背を備え、今よりも少し大きく立派なお姿でした。
しかし応仁の乱で、大内政弘の軍勢が泉橋寺は地蔵堂もろとも焼き払われ無惨な姿になってしまいました。
それ以来露坐です。
江戸時代に入って頭と両手が補われ現在にいたります。
鎌倉時代の台座と地蔵堂の礎石が残っています。
泉橋寺 (2)
山城大仏
山城大仏
山城大仏の絵です。
石の感じがうまく描けなくてこれが一番よくできたと思います。 





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[2013/01/29 08:28] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
法隆寺の金堂壁画観音菩薩

お早うございます。ご訪問ありがとうございます。

法隆寺で防火訓練が26日にありました。

 1949年1月26日、世界最古の木造建築だった法隆寺金堂が燃え、仏教壁画のほとんどを焼失しました。
漏電でした。法隆寺は用明天皇が発願し推古天皇と聖徳太子が受け継ぎ607年に完成しました。
1934年に法隆寺国宝保存事業が開始され修理が行われていました。
この火災をきっかけに50年、文化財保護法が制定されました。
54年に金堂の修理が終了しました。
現在の壁面はほとんどが模写です。
3年に世界文化遺産に登録されました。
法隆寺金堂
法隆寺金堂
 去年の写真です。
1月26日、焼け残った壁画などを収めた収蔵庫で法要が営まれました。
法隆寺金堂の炎上をきっかけに制定された「文化財防火デー」の26日に法隆寺で防火訓練が行われ、消防団員らが池から吸い上げた水を空に向けて一斉に放水しました。
斑鳩町消防団は「世界遺産の法隆寺を守るため、この訓練を糧にし、万全の態勢で防火強化に当たるそうです。

それで今日の画像は法隆寺の金堂壁画観音菩薩です。
法隆寺の壁画
この絵は画用紙に描きました。
大きいので描くのに1日かかりました。
スキャナーに入らないのでデジカメで撮りました。
ちょっとピンボケです。
この絵を見た近所のおばあさんに法隆寺の壁画の観音さんだと言ったら、ちょっと前に焼けたなあと言ってました。90歳のおばあさんにとっては60年前でもちょっと前なんですね。




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[2013/01/28 08:20] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top
降三世明王 (ごうざんぜみょうおう)
お早うございます。ご訪問ありがとうございます。

今日の画像は寿宝寺の仏像です。

大日如来
寿宝寺大日如来
 大日如来旧本尊
本堂に、近代までの本尊だった大日如来が安置されています。一般拝観できません。
パンフレットを見て書きました。ピカピカの大日如来様です。

降三世明王 (ごうざんぜみょうおう)
降三世明王 寿宝寺
降三世明王
廃仏毀釈で近くの廃寺から移された仏像です。
パンフレットの写真には光背も持物もありません。
特色は、三面8臂の口を開いて牙を出した忿怒像で、煩悩の根本である食欲・怒り・迷いを降伏させる明王です。
四つの右手には金剛鈴・剣・矢を、四つの左手には三叉げき・弓・索を持ち、さらに前の両手を中央で交差させた忿怒拳(降三世印)をつくり人差し指を立てています。
そして、この像の右足の下には上向きに寝転んだ大自在天(シヴァ)を、右足には妃の烏摩(ウマー)を踏み付けています。



金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)
金剛夜叉明王 寿宝寺 (2)
金剛夜叉明王
パンフレットの写真が小さくて細かいところはわかりません。
廃仏毀釈で近くの廃寺から移された仏像です。
平安中期の仏像です。
サンスクリット語では「バジラヤキシャ」といい五大明王の1尊で、北方に配されます。
過去、現在、未来の悪と欲をすべて呑み尽くし、取り除いていただきます。
一般的には、「不空成就如来」(ふくうじょうじゅにょらい)が忿怒の姿をとったものとされ、3面6臂です。
また、烏枢沙摩明王と同体とする説もあります。




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[2013/01/27 08:30] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
恭仁宮跡は国分寺跡
こんにちは、アクセスありがとうございます。

恭仁宮跡は国分寺跡

クニノ宮跡
恭仁宮跡へ行きました。
聖武天皇の恭仁京はわずか4年の都でした。
でもそのあいだに全国に「国分寺建立の詔」が出され、また大仏建立地をさがしておられました。
 紫香楽宮に大仏造立しようとされますがうまくいきませんでした。

恭仁宮 天平12年(740年)12月15日聖武天皇の勅命により、平城京から橘諸兄の本拠地であるこの地に遷都されました。
741年(天平13年)の9月に左京右京が定められ、11月には大養徳恭仁大宮という正式名称が決定されて、大極殿が平城京から移築されました。
しかし、都としては完成しないまま743年(天平15年)の末にはこの京の造営は中止されて、聖武天皇は近江紫香楽宮に移り、742年(天平14)秋には近江国で宮の建設が始まり、さらに744年(天平16年)2月に難波京に遷都、さらに745年(天平17年)5月に、都は平城京に戻されまた。
748年(天平18年)恭仁宮大極殿が山城国分寺に転用されました。
宮は平城宮を簡略化した程度で、南北750メートル、東西560メートルの南北に長い長方形でした。
朝堂院も平城宮より東西に幅が狭く、板塀で囲まれていた。
遷都後、宮城跡地は山城国分寺として再利用されることになりました。
九重の塔 (1)
九重の塔 
子安地蔵
子安地蔵 
国分寺跡
大極殿跡 
大極殿は金堂に転用されました。
金堂の東側は国分寺の鎮守社である御霊神社の境内でした。
七重塔礎石
七重塔の跡の礎石 
現在は広い草原となっており、七重塔礎石があります。
恭仁宮跡は国分寺跡です。

今日の画像
薬師如来
薬師如来
薬師如来
月光菩薩
月光菩薩
月光菩薩



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[2013/01/26 08:27] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
壽寶寺 十一面千手千眼観音立像
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壽寶寺 山本駅跡(やまもとのうまやあと)

壽寶寺へ行きました。
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壽寶寺パンフレット
寿宝寺パンフレット
壽寶寺は(704)年、天武天皇の時代に創建されました。
P1240068.jpg
古くは「山本の大寺」と称せられ、七堂伽藍の備わった大きな寺でしたが、木津川の氾濫により、移転を重ね享保17(1732)年、現在の小高い地に移転しました。
明治維新の廃仏毀釈に際し近隣の寺から重要文化財である十一面千手千眼観音立像を移しました。
平成9(1997)年に改築されました。
この寺の東側、今は桜と紅葉の公園になっているところは、
以前は鶴沢の池でした。
昔は鶴が飛来したので鶴沢の池と呼ばれていました。
また月の名所でもありました。

十一面千手千眼観音立像
十一面観音寿宝寺
像高180センチメートル、一木造り。
平安時代後期に作られたもので、藤原時代中期の様式をそなえた端正な観音様です。
檜の白木で造られており、清浄を喜ぶ神の御心にかなった仏として、神仏習合の先駆的な役割を担った観音様です。
四十手には、日輪、月輪、鏡、矢、雲、骨、剣など40の物を持ちます。
その他は掌を広げたように何層にも重なっており、すべての掌に眼が描かれた千手千眼観音様です。
柳谷(乙訓郡)の観音様と同木といわれ、これに因んで眼病平癒祈願にも霊験があります。
この十一面千手千眼観音様は実際に千本の手があります。
千本の手を持つ観音様は壽寶寺と大阪の「藤井寺」、奈良「唐招提寺」の観音様の三体だけです。
  
山本駅跡(やまもとのうまやあと)
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これは奈良時代の和銅四年七道のうち南北に通じる古山陰山陽併用道に設けられた驛です。
山本驛は、平城京からの最初の驛です。
西方は河内へ通じ、東方は木津川を渡って井手町から北へ通ずる東山道、同じ井手町から北へ通する北陸道(小路)とも関連した水陸相兼ねた重要な都亭駅です。
都亭驛は、中央政府が都と地方との交通を円滑にし支配するために設けました。
驛は築地で囲まれ、駅馬・舟・駅長・駅子などを備え、駅馬・宿舎・食事などを供す宿舎の外、駅馬をつなぐ厩舎・人馬の水飲場・駅子の控室や休養室・馬具や駅稲を入れておく倉庫がありました。
そして築地の入り口には「駅門」があり、建物は瓦葺きで塗り壁の寺院なみでした。
現在この「山本驛」の中心となっていた所はわかりませんがこの付近です。
昭和3年に三宅安兵衛が「和銅四年設定 山本驛旧跡」と記した石標を、寿宝寺の山門横に建立しました。




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[2013/01/25 08:22] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
黒船屋
こんにちは、アクセスありがとうございます。

夢二の絵


青い酒
 青い酒 「長崎十ニ景」
九州旅行で夢二は長崎の永見徳太郎宅に滞在しました。
郷土史家であり南蛮研究家の彼は夢二を長崎名所に案内しました。
夢二はこの時の体験を絵に描きます。
のちに永見徳太郎に贈られた「長崎十ニ景」です。
長崎十ニ景は異国文化と夢二の美人画とが入り混じり新しい夢二の絵がうまれました。
 眼鏡橋、灯籠流し、凧上げ、ネクタイ、化粧台、阿片窟、浦上天主堂、丘の青楼、サボテンの花、十字架、出島、青い酒‥‥と題した夢二の12景の絵はいずれも想像の世界と現実とが入り混じった世界です。
この旅で彼を追ってきた恋人・彦乃と別府で出会うが、既に病んでいた彦乃は別府で入院します。


黒船屋
黒船屋
夢二はヴァン・ドンゲンを研究していました。
代表作の1つ「黒船屋」の黒猫はドンゲンの「猫を抱く女」の黒猫を写しています。
夢二は大正7年10月、最愛の女性であった彦乃と別れ何もする気になれない日々をおくっていました。
そんなある日、近くの表具屋の主人が表具展に出品する絵を頼みにきたのです。
絵絹まで自分で買ってきた主人の熱意にほだされた夢二は制作を引き受けました
。その絵には彦乃に会いたくても会えない、辛く切ない思いを黒い猫に託し、「黒船屋」が完成しました。

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[2013/01/24 07:34] | 美人画 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
興福寺東金堂の仏様
お早うございます。ご訪問ありがとうございます。

興福寺東金堂の仏様

興福寺は平重衡の南都攻めの兵火によりほとんどの建物が焼失しました。
再建された東金堂に山田寺から薬師三尊を迎え東金堂の本尊としました。
東金堂はその後応永18年(1411年)に焼けました。
現在の建物は応永22年(1415年)に再建されました。
その時、薬師如来様も焼けてしまいました。
国宝館に仏頭が残っています。
今の薬師如来様はそのあとの鋳銅造仏です。
薬師如来
薬師如来興福寺東金堂
薬師如来
薬師如来様は、はるか東方にある清らかで平和な浄瑠璃光(じょうるりこう)世界の教主で、人々の災いや苦を除き、病気を治してくださるほとけさまです。

日光菩薩
日光菩薩
 日光菩薩 
月光菩薩
月光菩薩興福寺東金堂
 月光菩薩
浄瑠璃光世界の薬師如来様を補佐する菩薩で、向って右に日光菩薩、左に月光菩薩を安置します。
 両像ともに、本尊側の臂(ひじ)を曲げ、掌を前方に立て、外側の臂(ひじ)は下に垂らし掌を下に向け、本尊側に腰をひねっています。髻(もとどり)を高く結い、正面に阿弥陀如来(あみだにょらい)像の化仏(けぶつ)をつけています。
薬師如来とともに、飛鳥山田寺から運ばれてきたものです。
両菩薩とも仏頭とお顔がよく似ています。



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[2013/01/23 08:31] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
平重衡の供養塔
こんにちは、アクセスありがとうございます。
平重衡の供養塔 
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安福寺
泉橋寺から泉大橋を渡ると 安福寺があります。
JR木津駅の北徒歩10分です。
平重衡は南都焼き討ちしました。
「東大寺大仏殿」や「興福寺」焼き討ちは南都の衆徒に恨まれることになりました。
平重衡は一ノ谷の戦いで囚われの身となり鎌倉に送られました。
平氏滅亡を知った南都の衆徒は、重衡の身柄引き渡しを鎌倉に要求。
要求は聞き入れられ、木津川の河原で斬首されました。
文治元年(1185)12月28日、享年29歳。
安福寺は首を般若寺にさらされた(たいらノしげひら)の供養の為に建立されたお寺です。
山門をくぐって入った境内の右(東)側には、重衡の引導仏と云ういわれをもつ「阿弥陀如来像」を修めた「哀堂」があります。
堂内一般拝観はできません。
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 平重衡(たいらノしげひら)の供養塔 山門を入って左にある十三重石塔が平重衡の供養塔です。
境内は見せてもらえます。
 不成柿(ならずのかき) 
安福寺の西に不成柿があります。
この世の名残に柿を食べた重衡を哀れに思った里人がその柿の種を植えたところ実の成らない柿の木になりました。
「不成柿」と呼ばれたその木も今は代替わりし、秋になると小さな実が成ります。
また「不成柿」の近くには、重衡の首を洗ったと言われる「首洗池」があります。
小さな池で草に覆われています。

今日の画像は神童寺の仏像 です。
愛染明王
愛染明王神童寺
愛染明王神童寺収蔵庫

毘沙門天
毘沙門天神童寺
毘沙門天神童寺収蔵庫




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[2013/01/22 08:34] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top
山城大仏は日本一
こんにちは、アクセスありがとうございます。
泉橋寺へ行きました。
山城大仏は日本一の石の地蔵さんです。
泉橋寺縁起
泉橋寺縁起
泉橋寺縁起 泉橋寺の奥様から頂きました。
泉橋寺は国道24号線の西、泉大橋のすぐ近くにあります。
今は浄土宗の寺院で本尊は阿弥陀仏、一般拝観はされていませんが境内自由です。
御おっさん(浄土宗住職)は留守でした。
でも奥様にいろいろな話を伺うことができました。
戦後荒れ放題だったと言われるので応仁の乱のことかと思ったらこの戦争のことで、話をいろいろされるのでこちらが混乱してしまいます。
戦後嫁いできて今までの話が中心でした。
泉橋 天平時代、恭仁京遷都に伴い、木津川を越えて新京を造るため泉河にいくつかの橋が架けられました。
そのなかで行基が優婆塞(在家の信者)らの弟子を率いて、現在の国道24号線の泉大橋の近くに架橋したのが泉橋です。
泉橋によって結ばれた南北に伸びる道は恭仁京右京の中心道であり, 山背国府の中央道でした。
現在泉橋寺の西を真直ぐに走る道路がその名残りです。
橋は度々流失したので,平安時代には泉橋寺に渡船が備えられました。
渡船は明治時代に先代の泉橋が架橋されるまで続きました。
現在の泉大橋は戦後に架けられたものです。
泉橋寺は行基菩薩建立畿内49院のの一つで泉川架橋のために建立された発菩提院、隆福尼院を 前身とします。
泉橋院が創建された天平12(740)年は聖武天皇によって恭仁京遷都が始まった年 にあたります。
翌年には行基とその弟子達の手により泉橋が架橋されました。
恭仁京はわずか4年で 廃都となりましたが,泉橋寺はその後も木津川で命を落とした人々の供養をし,救済する寺院としての 活動を続けました。
創建時の泉橋寺は七堂伽藍を備えた立派な寺院でしたが、平安末期、 源平の合戦で平重衡の南都攻めの際に焼失してしまいました。
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泉橋寺の西のお地蔵さんは日本一の石の地蔵さんで山城大仏と呼ばれます。
鎌倉時代に般若寺の僧が泉橋寺を再興し、地蔵石仏を造立しました。
これが今に残る”泉橋寺のお地蔵さん”です。
もとは地蔵堂に納まり、台座や光背を備え、今よりも少し大きく立派なお姿でした。
応仁の乱で、泉橋寺は地蔵堂もろとも焼き払われ無惨な姿になってしまいました。
江戸時代に入って頭部と両手が修復されました。
今も露坐ながら日本最大の地蔵石仏として雄大な姿をとどめています。
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泉橋寺五輪塔 古来、光明皇后の遺髪塔でした。
移転の際の調査で多くの遺骨が発掘され、治承四年(1180)平重衡(しげひら)の南都攻めの折の犠牲者の供養塔として建てられたことが分かりました。
もう1基江戸時代の五輪塔があります。
五重塔址は泉橋寺の北の住宅地にあります。
礎石は売り払われて今は土地が残るだけです。




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[2013/01/21 08:12] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
秋のいこい
お早うございます。いつもご訪問ありがとうございます。

夢二の美人画2枚です


生ける屍トルストイ
生ける屍大正中期
トルストイの戯曲、生ける屍を1917年明治座で島村抱月の脚色で松井須磨子を主演に上演されました。
この絵から受ける印象は夢二の女性関係です。
この頃夢二は誰と付き合い誰がモデルでしょうか?


秋のいこい
秋のいこい 大正9年(1920)/紙本着色 
鮮やかな黄色に紅葉したプラタナスに囲まれて、着物の女性は ベンチで途方にくれる様子です。
手には青い洋傘を持ち、 隣には大きな信玄袋が置いてあります。
中に何が入っているのでしょう。
おもちゃではありません。
生活苦から稼ぎに東京へ出てきた女。
でも東京も大変な不況です。
第一次世界大戦終結後の大不況の始まりです。
夢二が好んだ和の装いと洋を取り混ぜたスタイルには、大正時代の華やかさや美しさが表現されています。
青い洋傘は大戦の特需の象徴です。贅沢品です。
好況のあとは必ず不況がやってきます。女
は素足に下駄履き。着物は木綿の普段着、仕事が見つからず、晩秋の寒そうなベンチに腰をかけて途方に暮れる女です。
モデルはお葉です。
大不況前夜です。
米騒動など、庶民の苦しい生活を絵から感じます。


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[2013/01/20 08:09] | 美人画 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
神童寺 蔵王権現像
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神童寺山門
神童寺山門
神童寺の仏像
 蔵王権現像
蔵王権現神童寺
蔵王権現像 本堂 
蔵王権現は神仏習合思想のもと平安時代中期に成立しました。
その成立とあわせて金峯山で、蔵王権現は役行者が祈って出現させたものと考えられるようになりました。
役行者は奈良時代の人です。
実際には仏師が彫りました。
縁起の本尊にまつわる記述は、金剛山において成立したこの伝承に基づいたものです。
神童寺で蔵王権現が本尊とされた時期は、縁起の基本が成立したと考えられる鎌倉時代初期です。
現在の本尊蔵王権現像は、現在の本堂(重文)が再建された十五世紀初めごろ頃に再興されたものと思われます。  鐘楼へ向かう石段の途中の地蔵さん 
神童寺地蔵菩薩
一段高いところに鐘楼と収蔵庫があります 

波切白不動尊 収蔵庫
浪切白不動神堂寺
波切白不動尊 波切白不動寄木造り、一六ニセンチ、平安時代後期、旧国宝、重要文化財
この不動明王像は、怒りの形相の中にもユーモラスな雰囲気をたたえています。
この不動尊は、頭の巻き毛が小さくて螺髪みたいです。
弁髪を垂らしていません。
両目はともに見開いており、ロは上歯で下唇をかみ、上半身は裸です。
このようなお姿の不動明王は、園城寺(大津市三井寺)の「黄不動」です。
特異なお姿の霊験あらたかな不動明王です。
神童寺縁起には、この不動明王像は智証大師円珍が中国の唐から帰朝の際に霊験のあった波切白不動であると伝えられています。
この姿の不動明王は普通は黄不動ですが、神童寺の像は縁起に伝えるように肉身部が白く彩色されています。
背景はいわゆる板光背で、室生寺金堂の諸像をはじめ平安時代に造立された大和地方の仏像に多く採用された形式です。
また光背も白く塗られています。

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[2013/01/19 07:48] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
神童寺
こんにちは、アクセスありがとうございます。

 神童寺パンフレット
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神童寺へいきました。
蟹満寺の南の方、棚倉から東の山中にある修験の古刹です。
創建は古く聖徳太子の開山です。
のち役の行者が自ら蔵王権現像を刻み本尊としました。
北吉野山 神童寺(TEL 0774-86-2161)と号します。
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神童寺御朱印
24号線から東へ鳴子川沿いに進むと道はだんだん細くなってくるのですが、道案内の標識が要所要所に立っていて迷うことなく神童寺山門に着きました。
ところが駐車場がないんです。
山門脇のギリギリに車を止めたら小型車がぎりぎり通れるかなという位の狭い道です。
そこへ軽四がやってきて通れるかなと思ってたらなんと後ろに駐車するじゃありませんか。
丁度角になっててそこへ止めたら車来たら曲がれません。
これが三重ナンバーの車で少しの間やから止めてもいいって勝手に決めて先に入っていきました。
朱印を2つもらってさっさと帰って行きました。
朱印集めをしているようです。
せっかくここまで来て本堂の本尊の蔵王権現様を見ないでかえるとはもったいないです。
そのあいだ30分ほどでした。
その間に車通らなくてよかったです。
収蔵庫には珍しい白不動尊、阿弥陀如来、役行者三尊、日光月光菩薩、愛染明王などいずれも重文,重文級仏像が安置されています。

今日の画像

阿弥陀如来
阿弥陀如来坐像
阿弥陀如来

不動明王
不動明王
不動明王



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[2013/01/18 07:24] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
酬恩庵の続きです。
こんにちは、アクセスありがとうございます。

酬恩庵の続きです。
門を入って突き当たり左に浴室、右に一休さんの墓があります。

P1230961.jpg
一休禅師墓
 門の前に宮内庁の立て札があります。
一休さんは皇族だったんですね。
中へは入れません。
そのまままっすぐ行くと中門をくぐって本堂です
。本堂は意外と小さかったです。なかに釈迦三尊が祀られています。
庫裏から中へ入ります。
ここから方丈へ廊下でつないでいます。
方丈がこの酬恩庵の最大の建物です。
大きい仏像はありません。
禅宗の寺院は大きい仏像はいらないのかな。
庫裏で一休寺納豆を勧められました。
納豆と言っても糸引き納豆ではありません。
もちろん甘納豆とも違います。
1年以上かかって作られる発酵食品です。
見た目は黒豆のようですが黒豆ではありません。
ここで販売されています。
大徳寺納豆も同じようなものだと思います。
庫裏のまえの重要文化財の東司はトイレです。

一休宗純の名前は
西金寺の謙翁(けんおう)和尚の弟子のとき謙翁は自身の名前・宗為から一字を譲り「宗純」の名を与えました。

24歳の頃、盲目の歌方の平家物語を聞いて、無常観を感じた一休さんは「有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)に帰る一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と詠みました。
有漏路の“漏”は煩悩の意味。
つまり「人生は(煩悩溢れる)この世から、来世までのほんの一休みの出来事,
雨が降ろうが風が吹こうが大したことない」という意味です。
一休の名はここからつけました。

一休さんの頓智話は江戸時代に作られました。

今日の画像は興福寺国宝館の仏像

 梵天
梵天興福寺国宝館
梵天興福寺国宝館 

沙羯羅像
沙羯羅像(さからぞう)興福寺
沙羯羅像興福寺国館




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[2013/01/17 07:35] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
江戸呉服橋の図
お早うございます。いつもご訪問ありがとうございます。

きょうは夢二の美人画を描きました。

江戸呉服橋の図
江戸呉服橋の図
江戸呉服橋の図 大正3年夢二は日本橋呉服町に港屋を開店します。
その記念画です。
広重風の景色に歌麿風の美人画を組み合わせて夢路のモダンな美人画に仕上げています。

女の夏姿
女の夏姿
女の夏姿 路地の細道改装版口絵 大正15年 
路地の細道は小唄集です。
浮世絵風の女を夢二風にモダンに描いています。




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[2013/01/16 07:52] | 美人画 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
酬恩庵
こんにちは、アクセスありがとうございます。

酬恩庵
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酬恩庵御朱印
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一休さん銅像
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壮年期の一休さんは頭ピカピカだったんですね。

酬恩庵は通称一休寺、一休さんの寺です。
道が良くなりました。
24号線から307号線も良くなってすぐわかります。
門をはいると両側がもみじの並木です。
行くなら紅葉の時がいいと思います。
桜の木はあまり見かけませんでした。
酬恩庵は春より晩秋がいいということになります。

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし 狂雲集
これは正月が毎年過ぎていくのを一休さんは正月が来るとまた1年死に近づいてゆく。
それでめでたくもないと感じていたのですね。
中年過ぎるとほんとに光陰矢のごとしです。
『狂雲集』(きょううんしゅう)は、一休禅師による風狂の世界の漢詩集

一休禅師木像 
一休宗純木像
一休禅師木像 方丈
方丈とは禅宗寺院における住職の接客や仏事に使う建物で、いわゆる居間となる所です。方丈中央の仏間には、一休禅師木像を安置しています。この像は、一休さんが亡くなる前の年に弟子の墨済に命じてつくらせたもので、重要文化財に指定されています。 この木像は、一休さんが自分の頭髪とヒゲを抜いて植え付けた、珍しいものです。像にはその跡が残っています。

一休禅師画像
IMG_0003 (2)
一休禅師画像宝物殿
虎丘庵
方丈庭園の背後、小高い位置にある小さな茶室。
ここは、かつて一休さんが森女さんとお住まいになっていた虎丘庵です。
二畳の水屋と、六畳、三畳の小部屋だけの、とても簡素なたたずまいの建物です。
もとは京都東山のふもとにあったのですが、一休さんが74才の時に起こった応仁の乱(1467年~1477年)から避難する時に、ここに移築されました。
虎丘庵は、京都府指定文化財に指定されています。


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[2013/01/15 07:24] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
禅定寺の仏像
お早うございます。ご訪問ありがとうございます。

禅定寺の巨大な壁画
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一部です。

今日は禅定寺の仏像です。
収蔵庫に10体の仏像と宝物が安置されています。
禅宗になる前の古い時代の仏様です。

十一面観音立像、国重文
十一面観音立像
   十一面観音立像
創建時の観音様です。
観音寺の十一面観音様によく似ています。
でもこちらは国宝ではありません。
なぜかはわかりませんが実物を見てもよくわかりません。
元国宝と書いてあります。
こちらの観音様も国宝だったことがわかりました。

文殊菩薩騎獅像、国重文
文殊菩薩騎獅像
  文殊菩薩騎獅像
獅子が変わっています。
耳がなくてオットセイみたい。
文殊菩薩騎オットセイ像です。
口を大きく開けてドラえもんのようなユニークな顔のししです。
隣で象に乗ってるのは普賢菩薩ではなくて大威徳明王です。
こちらも珍しい組み合わせです。


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[2013/01/14 07:43] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
切支丹伴天連渡来之図
こんにちは、アクセスありがとうございます。

夢二の美人画を描いてみました。
切支丹伴天連渡来之図
切支丹伴天連渡来之図
美人画―夢二の美人画




オッサンがいっぱい2
オッサンがいっぱい2





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[2013/01/13 07:55] | 美人画 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top
寿老人
皆さん、こんにちは! アクセスありがとうございます。

七福神-寿老人

寿老人
寿老人
福禄寿の次は寿老人です。
寿老人は老子が天に昇って神になりました。
長寿のシンボルの鹿をつれて、桃を持っています。
老子は道教の創始者です。
道教は仏教や神道とはちょっと違って道徳教です。
道教は中国の思想で、人はいかに生きるべきか、とかが、説かれています。
道教には数々の神様や仙人がいます。
神は人が考えたもの。
仙人は修行を積んだ人がなるもの。
道教は、死後の世界ではなくて現世で修行して道徳的ないきかたをすることを目的とします。
そうすれば不老不死になれるという思想です。

今日の画像

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弥勒菩薩半跏像

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国宝菩薩半跏像





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[2013/01/12 07:49] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
禅定寺
こんにちは、アクセスありがとうございます。

禅定寺へいきました。
観音寺の東の方、信楽へ行く途中にあります。
天台宗の寺院でしたが、現在は曹洞宗です。
 正暦2年(991年)東大寺の別当であった平崇上人によって開基され、造営に五年の歳月を費やしたと伝えられています。

 平等院の末寺となり、藤原氏の庇護によって「岨山一千町歩」などの広大な寺領を有していましたが、中世以降は衰退し、境内の荒廃が進んでいました。
そんな中、延宝8年(1680年)加賀国大乗寺の月舟宗胡が、禅師に深く帰依していた加賀藩の家老・本多安房守政長の経済的援助を得て、諸堂を建立し、境内の再整備を行い、曹洞宗寺院として復興しました。
現在の境内は月舟によって再興された当時のようすをよく残しており、本堂・客殿は現在も町内で最大の茅葺き屋根の建築です。

 宝物殿には、重要文化財や町の文化財に指定されている仏像が10体、 木造十一面観音立像はもと国宝をはじめ十体の仏像が安置されています。
境内には町指定文化財の禅定寺五輪塔があります。
防災壁に描かれた巨大な涅槃図には圧倒されます。

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御朱印

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禅定寺の本

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如来様

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この人は誰でしょう。禅僧です。誰でも知ってる人です。次はこの人の寺です。あまり似てないけど来週この寺院書きます。


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[2013/01/11 07:55] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top
今日は10日恵比寿です。
お早うございます。

ヽ(^0^)ノいつもアクセスありがとうございます。

今日は10日恵比寿です。
関西人は福の神として誰でも知っていますが地方に行けば知らない人も多いそうです。
恵比寿さんと書いてえべっさんといいます。
西宮戎が本家。
大変な賑わいです。
奉納されたマグロに銭を貼り付けて落ないと銭が身に付くそうです。
大阪は今宮戎、堀川戎、昔は笹を持って行ったそうです。
今は神社でもらえます。
そこへいろいろ縁起物着けてもらいます。
近くのえべっさんは福笹に最初からいろいろついて3000円です。

恵比寿さん
恵比寿さんは七福神の一つです。
中国の神様と仏教の神様と日本の神様と7人まとめて祀るものです。
七福神は御利益は7倍です。

今日の画像
聖観音
聖観音
聖観音


聖観音
聖観世音菩薩
聖観音



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[2013/01/10 08:06] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
観音寺大御堂の十一面観音菩薩立像
お早うございます。

ご訪問ありがとうございます。
もう9日になってしまいました。
宵戎です。
近くの戎神社へお参りします。
今日の画像は観音寺大御堂の十一面観音菩薩立像(国宝)」
観音寺は大御堂と庫裡だけですが鐘楼が再建されています。
もみじと桜がたくさん植えられています。
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今度は桜の咲く頃に行って見たいと思います。

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天平時代の美しい観音様です。
頭上の11面は3面が天平時代のものであとは国宝指定で修復されたそうです。
1300年の歳月で金箔は剥がれて下地の黒い漆がみえています。
それが綺麗です。
全体に白っぽくなってしまいました。
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先に全体を黒く塗ってから光ってるところを白く似りました。
こちらの方が雰囲気が出てると思います。


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[2013/01/09 07:26] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
Mona Lisa
こんにちは。アクセスありがとうございます。

Mona Lisa
似顔絵です。
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今日のモナリザは草刈民代さんです。




IMG_0001 (2)
オッサンがいっぱい。



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[2013/01/08 07:10] | 似顔絵 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top
観音寺
こんにちは、アクセスありがとうございます。

観音寺へ行きました。
去年は間違って違う観音寺へ行ってしまいました。
今日はヤフーの地図しっかり見ていきました。
JR学研都市線沿いを北上していきます。
前回の祝園、下狛を通りすぎ三山木の駅を過ぎてすぐ右折。
右に同志社大学の広大な学舎が広がっています。
しばらく行くと観音寺の看板が見えてきます。
着いたのはお昼前。
庫裏の方へ申し込むと本堂前で待ってくださいって言ってなかなか出てこられません。
昼食時だったんですね。
先に昼食済ませればよかったです。
でも10分ほどで出てこられました。
慌てさせて申し訳ないと思いました。
ここは東大寺のお水取りの松明の竹を収めているそうで根のついた竹が置いてありました。
中へ入るとまず住職さんがお経をあげられます。
そして焼香してから観音様の厨子を開かれました。
素晴らしい観音様です。それがすぐ近くで拝観できるのです。
言うことなしですね。
もと普賢寺今は観音様しか残っていないので正式に観音寺というそうです。
拝観所要時間約30分と書いてますが1時間はいたと思います。
ここが奈良の寺院の北端だそうでここから更に北へ行くと一休寺があります。
一休さんの寺です。
一休寺が京都の寺院の南端だそうです。

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観音寺( 大御堂 )水彩色鉛筆

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パンフレット

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御朱印

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絵心経の手ぬぐい。大きいのでスキャンは一部分です。ルビがなければ読みにくいです。

十一面観音観音寺国宝
十一面観音様





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[2013/01/07 07:35] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
興福寺北円堂の仏像
こんにちは、アクセスありがとうございます。

今日の画像は、仏画 仏像 です。

興福寺北円堂の仏像です。

無著菩薩・世親菩薩立像

無著菩薩
興福寺の無著像
無著菩薩は瑜伽行唯識学の大成した学者
瑜伽行唯識学についてはややこしいことが書いてあってよくわかりません。

世親菩薩
世親菩薩興福寺北円堂
世親菩薩は無著(アサンガ)の弟で瑜伽行唯識学者

持国天
持国天興福寺北円堂
持国天梵名ドゥリタラーシュトラは国を支えるもの
四天王の一尊で唐代の武将風の姿で東を守ります




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[2013/01/06 07:35] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
福禄寿
ヽ(^0^)ノいつもありがとうございます。

七福神福禄寿
福禄寿
福禄寿は七福神の一つです。
中国の神様だけど仏教の神様と日本の神様と7人まとめて祀るものです。
七福神は御利益は7倍です。
福禄寿の福は幸せ、禄は財寳、寿は長寿のことです。

金剛力士
金剛力士群像
金剛力士がいっぱい

二十五菩薩
二十五菩薩
二十五菩薩は阿弥陀如来の眷属



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[2013/01/05 08:04] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
法然上人
 
こんにちは、アクセスありがとうございます

阿弥陀如来
阿弥陀仏知恩院
阿弥陀如来知恩院

観音菩薩
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観音菩薩泉涌寺即成院

法然上人
法然上人 (2)
法然上人は口称念仏で往生できることを説かれました。
良忍上人は観想念仏から称名念仏へ、融通念仏をはじめました。
法然上人はひたすら念仏すれば極楽往生できると説かれます。
極楽往生とは死後に浄土に往生できるという意味ですが、今ひたすら念仏するときその人は仏となっているのです。
法然上人の一枚起請文に智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべしと書いてあります。
念仏の意味をよく理解していなくてもいいのです。
何も知らない人と同じようにただひたすら念仏すればよいのです。
そうすれば心の中の雑念が消え悟りの世界を体験できます。
死んでからではなくて今仏になれるのです。
座禅の意味を理解しているだけではダメです。
座禅の姿そのものが佛になっているのです。
ひたすら念仏する姿が佛です。


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[2013/01/04 07:54] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
今日のモナリザ
こんにちは、アクセスありがとうございます。

今日の画像は似顔絵です。

モナリザ
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今日のモナリザは杉本彩さんです。



オッサンがいっぱい
オッサンがいっぱい




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[2013/01/03 07:46] | 似顔絵 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top
空也上人
新年おめでとうございます。
ご訪問ありがとうございます。
もう2日になってしまいました。
初詣は近くの氏神様です。
今日の画像は釈迦初転法輪像、釈迦如来坐像、空也上人六波羅蜜寺の3枚です。
今日は仏教が始まった時のお釈迦様と大乗の神格化されてきた時代の釈迦如来、それから空也上人です。
空也上人は天皇の落胤で出家されました。
お釈迦様は王子ですが出家されました。
そこが似ていると思いました。

釈迦初転法輪像
サールナート出土初転法輪像
サルナート鹿野苑出土の釈迦初転法輪像

室生寺の釈迦如来坐像
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室生寺の釈迦如来坐像

空也上人
空也上人六波羅蜜寺
空也上人六波羅蜜寺 
空也上人の時代は仏教は国家鎮護のためにありました。一般庶民は、仏教から放置無縁でした。そこで空也上人は、一般庶民救済のために浄土の教えを説いて廻りました。諸国を巡りながら、道路や橋を補修したり、貧しい者や病に苦しむ者への施しをしたりしながら、浄土教を説いて回りました。
それで空也上人を、「阿弥陀聖」、「市聖」と呼ぶようになりました。空也上人は民間浄土信仰の祖でありまた踊り念仏の祖でもあります。




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[2013/01/02 07:37] | 仏像 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top
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